東京生まれ、新宿在住、30代社会人です。

キャパシティについて

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容量オーバーになってしまった事案について

とある事案で容量オーバーになってしまった事案がある。

 

私事ではあるが、自宅地域の美化運動(脚色あり)系のボランティアさんと、近所の道場で知り合った。家の近所の空き地でなにかをしていて、不思議(半分不信に)思い声をかけたのが始まりだった。そこでとある地域の美化的な運動をボランティアでしていらっしゃるとのことだった。

 

丁度私も同じようなボランティア活動を、単身で行っていたことがあった。年齢の上昇とともに、仕事面の忙しさから数年それらのボランティア活動は行っていなかった。しかしながら、前回していた際には自費で10万円強を捻出し、家族の助けを借りて終わらせた事案であった。

 

ボランティア活動をしていらっしゃる方たちは名刺やHPを所持しており、曰く、それら費用面での負担の9割は、とある基金からクーポンをもらってしているとことでした。そのクーポンは個人でも申請可能とのこと。ならば自分で仕事が忙しく無くなった時にでもやってみようと思い至った。

 

話しているうちの流れから、当方宅の美化運動をボランティアでするのはどうかという話になった。また一体の協力が必要である、少額の費用負担(1/100)程度でできるという話に機を発し、家人の許可が取れたら是非お願いしたいという旨を話した。

 

詳細を喫茶店で聞く

家のもの皆から、goサインがでた。また、諸所の前提があるので、双方の合意のもとに作業ができるかについて話をしてみることにした。2週間後、祝日に家のもの1人が新たに参加し、話を聞き、その後計画の是非を考えさせて欲しいと相手方に伝えた。

家から少しはなれた喫茶店で、詳しい話を聞かせていただいた。やはり、時間をとってでてきていただいている、ということを念頭におき喫茶店では自由に注文していただきその代金はこちらでもった。話し合いはスムーズにいき、ある程度の経済的支出について約束し、綿密に全て打ち合わせをした。

ボランティアのかたは3名程度、私の親世代に当たるかたたちで感じはよかった。詳しい日付、時間、金銭支出、その負担、領収書の有無など確認しあった。

 

いざ、前々日になって

重ね重ね、ボランティアの方達には頭が下がる思いであった。それらに費やしてくださる時間を思うととても申し訳なく思った。

 いざ、前々日になってから、電話がかかってきた。聞くと、場所の提供(鍵がある場所)や他の諸々の必要品の支出などについて、こちらに負担して欲しいとの要請である。さらに、2日ほど会社を休んで参加されることを要望された。必要品は私が揃える旨を了解した。場所の提供は、相手の素性が分かりかねる人に対して、家内のとある場所を貸してほしいとのこと、「それは信用していただきたいんですけドォ」とのことであった。返答は留保させてもらった。会社を休むのは、それも木曜日、金曜日とのことであったが(当然土日を挟んで4連休になってしまう)これは喫茶店で話した通り、できないと断った。 

 

場所を貸すこと、また鍵ごと貸すことは、私の仕事上やむを得なかったので、承知した。そのときにふと思ったのは、私がかれらの「素性」をよく知らないということだ。彼ら自身が作成した名刺には、フリーのメールアドレス、名前及び電話番号が記載されているが、それ以上のことはしらない。彼らは私の住所、氏名、電話番号、アドレスなどはしっているのに...

 

あれだけ喫茶店で話したのに、次から次にでてくることに驚いた。同じようなことを多々行っているのだと思っていたので、その手際の悪さに驚いた。

 

身近な例で考える

ところが、このときは未だ「段取りが悪い人たちなんだろうな」と思うだけだった。かれらは私の親世代である。年上への敬意も込めて、そして、身内の母や祖母が全てをスムーズにしているわけではないことも念頭において、これは仕様がないことだ、と思い至った。

 

実施

実施したあとは、土曜日のみ当方も参加した。終了後には我が家でささやかながらおもてなしをさせていただいた。そのうちの1人のミスで、場所及び鍵は2週間ほど先まで貸すことになった。こちらとしても、記録等をきっちり撮りたかったので、写真とワードできちんとした記録を作成した。また書き換え可能なデーターを作成し、ボランティアの方に渡した。

 

その後

その後はお貸ししていた鍵を返却していただいて終わるはずであった。ところが、どうも拙宅からはなれたところにある、ある地点での美化運動を行うことになったとの話があった。同じ地域にあることから、その地点(集合住宅でどなたも金銭拠出を承諾しない)という場所についても協力して欲しいとの要請であった。、場所、経費、時間についての再度の協力を求められた。また、当初使用していたとある基金のクーポンがつかえなくなったとのことであった。

 

とあるクーポン

とあるクーボンは、デパートブランドの靴一足分に値する。そのほかの経費、場所、全てを含めて、同じ地域にあるので私に負担して欲しいとのこと。

これで終わりだとのことだったので、承諾した。

とはいえ、今思うのは、そのクーポンを再度申請すれば良いのでは、と思う。

自分で調べてみたところ、その基金では毎月それらのクーポンを発行しているようであった。

 

その後

2回目も同じ様に対応した。土曜日は立会い、感謝し、費用を支払った。その後、紆余曲折があり、やっと鍵を返していただけることになった。私は心底ほっとしていた。これでやっと終わる、と思った。数日前に登録していない番号から連絡があったが、田話で要求されると考えることができないため、その電話には出なかった。用事があればメールのやり取りをしていたので、そちらにかけてくるだろうと思った。

最終日、鍵の受け渡しのために仕事を定時でぬけ、急いで家に帰った。そのときに、再度近くのある地点でボランティアをするので場所を貸して欲しいと言われた。

 

結局

場所の貸し出しについては、家の用事でそこを使う予定が当初からあったのでお断りさせていただいた。

当初から予定していた金額の3倍の費用がかかった。時間をとって色々とやってくださったことには深く感謝をしている。それでも、要求が拡大してくることには怖さを覚えた。電話での交渉だと、思考が止まってしまい、深く考えられない。責任感という部分をくすぐる形で、当初話していた話とは違う負担が多々あった。

 

『明日暇?』に似ている

学生の自分、アルバイト先の先輩に、メールで「明日暇?」と聞いてくる人がいた。個人的な付き合いの一切ない人であった。その度に、律儀に、自分の予定を話していた。

返答はいつも「バイトを変わって欲しい」という要求であった。それならば、最初から「バイトを変わって欲しいです」という連絡をすれば良いのにな、と思ったものだった。

 

反省として

  • 物事はXXであるべきだ
  • 人はXXであるべきだ

ということに重きを置くことは、大切なことであると思う。しかしながら、これだけのことができる、これ以上はできないと、線を引くことは必要だ。今回の場合、できるかできないか、精査し、また双方の合意のもとに、実地したはずであった。このときに私としてできること、できないことを伝えたつもりであった。

 

しかし、最終的なゴールのために、必要なことも出てくる。さて、その際に自分をアレンジしてキャパシティを広げてやっていく事、それはきっと将来的にも役立つ経験になる。今回は大切な経験値を積んだと思う事にしている。

 

一つ思ったのは、私は、電話で物事を押し込むのはやめようという事だ。まず、自分のできる事を念頭に置いて振舞う。もしもの時は自分で負担する。そして、できない事、できる事を見極める。電話で交渉し、相手がたに受け入れてもらった時は、きっと、自分の交渉力を過信してしまう。その時もいつでも感謝の心を忘れない。

 

そして、今回感じた怖さは、小さな入り口から入ってきた何かに侵食されるような怖さであった事も覚えておきたい。いい顔をしたがる自分に反省しきりである。